プロフィール
◎自己紹介
☆スピリチュアルライフコーチ
☆イーマ・サウンドセラピスト
☆ストレッチ&瞑想講座講師
(Facebook是非ご覧ください)
☆しずく学校、しずくメゾットにて
エネルギー療法コース習得
カウンセリングコース習得
☆JADP日本能力開発推進協会
上級心理カウンセラー
☆日本脳教育協会(株)ダンワールド
こども脳教育講師準1級資格
☆日本ホスピタリティセラピスト協会
深眠セラピスト®︎ 等
☆エステティシャン
☆ライフヒーリングトレーナーマスター
認定講師資格取得
☆レイキサードディグリー習得
☆自閉症タッチセラピスト
◎得意なこと
ヨーガ、気功
◎趣味
アロマセラピー、ムーンセラピー
スピリチュアルライフコーチ&セラピスト
青空 和実(なごみ)
いつも生きづらさを感じていたのは自分のことが嫌いだったから
私は幼いころから空気を読みすぎるところがあり、人といると疲れてしまうので周りとの関わりを避けているような子でした。
いつも孤独を感じていて笑顔の少ない女の子、これが私の生きづらさの始まりでした。
食事中によく泣いていた母
お姑さんと合わない母は食事中に泣いてばかりで、
食事の時間が楽しくありませんでした。
父はそんな母の影響を受け、食事中にイライラしながら
子供たちをよく怒っていました。
母は年子の兄に一生懸命に箸の持ち方を教えていて、
私はその傍でマネしながらすぐに覚えてしまうような
手がかからない子でした。
本当はもっと甘えたかったといつも思っていました。
自分の気持ちをうまく表現できない子
自分の意志が弱く、母に言われピアノを習っていました。
ピアノの先生にも怒られてばかりで怖かったので、楽しくないピアノをいやいや6年間続けました。
小学校もあまり楽しくなく、口数の少ない子供でした。
中学に入って、ルーマニアのコマネチに憧れて体操部に入った頃でした。
レオタードで演技していると皆から注目を浴びるようになり、心のどこかで喜びを感じるようになりました。
これが私の第一の転換期だったと感じます。
大失敗の始まり
高校・短大を経てOLとなりましたが、事務の仕事がつまらなく、入社してすぐに急性胃炎になってしまいました。
父の紹介で入った会社なので辞めることもできず、何回か部署異動しながら乗りきりました。
最後の部署は新入社員教育などをさせてもらい、人間関係もよく楽しい職場に恵まれました。
2度の離婚経験
27歳で同期だった男性と結婚しましたが一年もしないうちに離婚し、そこから一人暮らしが始まりました。
社内結婚だったので会社を辞め、趣味が旅行だったのをきっかけに旅行会社に就職し、添乗員として楽しくお仕事をし始めました。
海外の添乗員を目指していましたが、社長からのセクハラにあい旅行会社を辞めることになりました。
母から勧められた結婚相談所で出会った方と結婚しましたが、すぐに別れてしまいました。
これで2バツです。
もう結婚はコリゴリと感じました。
なんで私っていつもこうなってしまうのだろう?
私は生涯仕事にのめり込んでいこうと、紹介されたエステサロンに就職しました。
これが大きな転機となりました。
当初はまったく興味がなかったエステの仕事でしたが、チーフを任されカウンセリング能力も向上していきました。
社長さんがエステティシャンに向いていると言っていただいたおかげで今の私がいます。
当時の社長さんには今でも本当に感謝しています。
あの笑顔の少ない女の子が
エステティシャンとしてお仕事をしているうちに、自信に溢れた女性に変身していきました。
自然に笑顔の大切さを感じるようになりました。
そのころガンが3度転移して父が他界
そんな私に三度目の結婚のチャンスが・・・それが今の主人です。
順調に続いていたエステのお仕事を辞め、横浜での結婚生活が始まりました。
幸せを夢見た三度目の結婚後の挫折
一年後に長男を出産!36歳高齢出産でした。
元気な子でしたが、2歳で自閉症と診断されました。
自閉症児の子育ての始まりです。
靴を履かせるだけでもパニック。
公園ではすぐどこかに行ってしまい、療育を受けながら子育てしました。
三度目の結婚でやっと幸せになれると思っていた私だったので、苦痛を感じながらの子育てでした。
孤独という繰り返しおこる出来事
自分を責め、どんどん母親としての自信が無くなっていきました。
「どうして私はダメなんだろう」と毎日泣いてばかりいました。
アルコールを飲みまくり、今考えると完全にノイローゼ状態でした。
息子が小学校入学に併せて引っ越しをし、新たな気持ちで新生活をスタートしました。
心身を整えたくてヨガを始め、メンターとの出会いでヨガ講師になりました。
あまりに疲れ果てたような自分の顔が嫌になり、あえて自分を笑顔に追い込むためにエステサロンのお仕事を再スタート!
療育をしながら、ボランティアで障害や不登校の子供たちに体操を指導したり、親子ヨガで子育てのお悩みをお聞きしたりしながら自分を育てていきました。
息子の不安定は私の鏡
息子も中学生になり、大人への階段は彼にとっては難しく、
中学2年の夏には支援級に変更しました。
心がどんどん不安定になり、ある日私ともめた時に自分の腹部を
包丁で刺してしまいました。
幸い傷が浅くて助かりましたが、とってもショックな出来事でした。
息子が周りとの違いに敏感になってきたことで、対応するのが
苦しい時期でもありました。
通信制の高校に進みましたがなかなかうまくいかず、
高2の10月に引越しとともに高校を転籍することになりました。
今の住まいの藤沢に引越ししてなんとか高校を卒業し、職業訓練を
受けましたがだんだん行きたがらなくなりました。
お金が欲しくてアルバイトも20ケ所ほど受けてもすべて
断られるという状況でした。
お小遣いは充分渡していましたが、水の中のお賽銭を盗むようになりました。
精神科で相談しても「お賽銭は彼らにとって理解が難しい」と言われ、薬を処方されるだけでした。
繰り返し補導されましたが障害があることで許されてしまい、彼もまた許してもらえるという習慣が身についてしまい、警察からは何回も連絡があり迎えに行くということの繰り返しでした。
息子の自死
親から少しづつ離れ、息子が20歳になって希望していた障害者グループホームに入りホッとしていた最中、21歳になった7月に自死してしまいました。
心が張り裂けそうでした。
スピリチュアルライフコーチ
2歳で息子の発達障害を診断され、母親としての自信を失い、孤独な気持ちからなかなか抜け出せずにいましたが、健康であれば何でも乗り越えていけるという気持ちになりました。
独身の頃からのエステのお仕事を復活しながら、夢だった自宅サロンを立ち上げることができました。
その後、「息子の死」というショッキングな出来事が起きてしまいました。
当時、私はちょうど「スピリチュアルライフコーチ12ステップ」講座を受講していました。
この「スピリチュアルライフコーチ12ステップ」講座に出あっていなかったら、息子との別れに耐えることは決してできませんでした。
この講座のおかげで魂の目的や人生のシナリオなど、息子が予定通りの人生を生き、私を成長させるために目の前でいろんな出来事を乗り越えさせてくれたのだと感じるようになりました。
息子のことを受け入れることは簡単ではありませんでしたが、今までの辛く孤独な人生を乗り越えてきたからこそできたのかもしれません。
これからの人生、これまでの出来事を通して人生で学んできたことを、カウンセラーとして多くの人たちの魂の成長の力になりたいと思っています。
それが息子への恩返しと最高の供養になると信じ、天職を全うしたいと願っています。